七堂伽藍(しちどうがらん)の説明

七堂伽藍とは?

そもそも伽藍とは何?

お寺を構成する建物(塔堂)の集まりを伽藍といいます。語源は「集会」を意味する梵語の「サンガ」から発生した僧伽藍(そうがらん)の、「僧」が略される様になったもの、と考えられています。

お堂が7つ有るから七堂ですか?

そういう訳でも無いようです。この場合の7という数字には厳密に意味は無く「たくさん」という意味で、大胆に言ってしまえば「3よりは多く10よりは少ない」と言う程度に考えればよろしいかと思います。一通りの建物の揃ったお寺の建物を「七堂伽藍」といいます。その配置には歴史的に様々な変遷があり、宗派によっても特徴があります。

たとえば高野山の様な大寺院になると、本堂を中心とした伽藍の周辺に、子院や塔頭(たっちゅう)とよばれる、ひとつひとつが独立した寺になったものが多数存在する場合もあります。

伽藍の配置

古代寺院の伽藍

仏教は6世紀前半ころに朝鮮半島経由で日本に伝わったという説が有力です。朝鮮半島の仏教は中国の影響を強く受けており、伽藍配置も中国式と考えられます。当時の中国では仏教と共に道教が信じられており、方角が非常に重要と考えられていました。今日で言う「風水」の考え方です。したがって寺院の建設にあたっても正確に南北の軸を基準に塔堂が配置されました。

鎌倉時代の『聖徳太子伝古今目録抄 』という文書では「金堂、塔、講堂、鐘楼、経蔵、僧坊、食堂の7つの建物があるのが伽藍である」としており、この7という数字が「七堂伽藍」ということばの由来かもしれません。あるいはその当時、既に「七堂伽藍」という言葉が先に存在して、これらを列挙した可能性もあります。「食堂(じきどう)」は僧侶が食事をする場所、「僧坊」は起居する場所ですが、寺では一日の全てが修業ですから、これらの生活の場も伽藍の構成要素なのです。

古典的な伽藍配置の代表例として飛鳥にあった本薬師寺の場合、南側中央に南大門、門を入って左右に東西2塔があり、正面がご本尊を安置する金堂があります。昔は僧といえども金堂の中には入ることは許されず、堂の前に作られた石敷きの部分で読経などを行ったそうです。これらの建物がある領域が回廊と呼ばれる屋根とひさしのある塀で囲まれ、寺院の中でも特に聖なる領域と考えられていた様です。

そしてその奥に講堂があります。講堂では僧が経を詠んだり、仏典についての講義や問答などの「おつとめ」をするほか、信徒が集まり僧の法話を聴くといったことが行われます。講堂が回廊の中にある寺院もあります。

鎌倉時代以降の七堂伽藍

鎌倉時代以降、さまざまな宗派が登場し、寺院の様式も変わってきました。平安時代より、山岳密教の起こりもあり、全ての塔堂を収容するのに十分な広さの平坦地が確保できない場所に建てられることが多くなりました。そのような寺院を中心に、地形的な制約から厳密な南北の中軸線をもたない寺院が増えてきました。このような寺院の造営が容認された背景には、日本では中国のように道教が信仰されなかったため、方位に対するこだわりが中国ほど強くなかった、ということがあるのかもしれません。ただしこれは厳密な研究成果によるものではありません。正確を期すためには、より詳しい文献調査が必要です

そしてやがて、もともとは仏様にお供えする食べ物を調える場所でしたが、現在は住職が起居する住居の「庫裏」や浴室、東司(トイレ)なども伽藍の一部として数えられるようになってきました。


リンク紹介

「七堂伽藍」について更に詳しい説明は、たとえば下記をご覧ください。

http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/HandS/mono/garan/garan.html
三ノ輪・飛不動尊(東京都台東区竜泉)のサイト内、やさしい仏教入門>建物:七堂伽藍の項参照。


2017-08-01 Update

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